自分史
┃┃┃┃ 自分史 その3 小学校低学年〜中学年くらいまで
小学校入学当時、すでに体重は22キロ。 相当のおデブちゃんだったと思われます。
小学校へ入学してから5月くらいまで、学童保育に通ってました。
住んでいた団地は広く、1街区2街区3街区と分かれていました。
自分は、2街区に住んでいたので、通う小学校は「カナイ小学校」 学童保育は、1街区の生徒が通う「フジノダイ小学校」の中にありました。
学童に通うためには、商店街を通らなくてはならず、 ランドセルを背負った小学生はとても目立ちました。
学童は1年生から3年生までが対象で、 「フジノダイ」「カナイ」そして3街区の「フジノダイヒガシ」の 3小学校の児童がいっぺんに集まっているので、とてもにぎやかでした。
そして、そこで眼を付けられいじめの対象にされてしまいました。 すでに、クラスでも軽いいじめに遭っていた自分は、 一気に通う気を失ってしまったのです。
5月のある日、男子数人とザリガニ取りに出かけて、 学童を無断欠席しました。 家へ帰ってみると大騒ぎになっていて、ちょっとビビリましたけど…。
そこで、学童をやめることを親に言ってやめることになりました。
鍵っ子になった自分は、Mちゃんに遊んでもらいました。 Mちゃんとおままごとをして遊ぶとき、 お父さんになりたがった記憶があります。
でも、結局隣の奥さんに落ち着くんですが…。 男の子と、とりあえずチャンバラごっこをして 遊んでもらった記憶もかすかにあります。
それとは別に、Bちゃん宅へも遊びに行ってました。
Bちゃん宅は自転車で30分くらいの所にあり、 よく自転車をぶっ飛ばして、大人に怒られてました。
Bちゃんとは、ガッチャマンの話や、 他のロボットアニメ全般の話をして、 ガッチャマンごっごを主にやっていた記憶があります。
とりあえず、母が帰ってくるまでは、 ずっとテレビにかじりっぱなしで、主にロボット系アニメを 見てました。
小学校3年の時ぐらいに、父に「広島東洋カープ」の帽子と グローブを買ってもらって、休日は父とキャッチボールをしてました。
初めて、少女マンガ雑誌を買うようになったのもこのころです。 Mちゃんが「なかよし」自分が「りぼん」を買って、 とりかえっこしながら読んでいました。
自分の性自認は、やはり女の子ではないでした。 太ってるせいなのか、女の子の集団には入れなく、 3年生の頃には男子だけではなく、女子にもシカトされるぐらいに なっていました。 クラスの中で身の置き場の状態になっていました。とりあえず腕力があったので、男子とケンカしても勝てていました。
しかし、両親にはいじめの事はいっさい言いませんでした。 母も仕事が忙しく言える状態でも、 言ってもいけないと感じていたからです。