自分史
┃┃┃┃ 自分史 その8 大学卒業〜26歳くらいまで
大学を卒業したものの、ろくに就職活動もぜず、 アルバイトに専念しておりました。
とはいうものの、就職しなくてはさすがにまずいと言うことで、 7月頃に、あるコンピューターソフト会社に潜り込みます。
とりあえず、すごく小さな会社にもかかわらず、 会社が国会議事堂の近くにあったため、エリートサラリーマンの通勤姿を 毎日見る羽目になりました。
そこで、ある感情が芽生えてきます。 「俺も、この人達みたいにスーツを着て男として会社勤めしたい!」 と思うようになってしまいました。
それまでは、女性らしい格好をほとんどしていなかったのに、 会社に入ってある程度女性らしいスーツを着ていたので、 どこかでフラストレーションが爆発してしまったのかもしれません。 会社の人間関係も若い女の子中心で、どうしてもその輪の中に入れない 自分が辛かった…。 でもって、3ヶ月でそこを退職してしまいます。
退職する前に、どうしてもこの気持ちが何なのか知りたくて、 あるMtFの方にメールを出しました。 そのMtFの方は親切に自分の話を聞いてくださって、 とりあえず、「FtM日本」を読んでみたらどうですか?とアドバイスを してくださいました。
とりあえず、バイトを転々としながら、「FTM日本」を購読して、 NIFTYのトランス系会議室のログを読む日々が続きました
あるとき、「FtM日本」と一緒に一枚の手紙が入っていまいした。 フリーライターのヤツイワさんがトランスのルポを書きたいので、 話をしてくれる人を募集していますと言う内容でした。
自分が、トランスだとは思っていませんでしたが、 自分の中にあるモヤモヤを誰かに聞いて欲しくて、 その話に乗ることにしました。
とりあえずヤツイワさんとアポを取り、新宿にて待ち合わせ。
初顔合わせにして、2・3時間話していた気がします。
取材はそれだけにとどまらず、彼女の家で何度となく飲み会をすることになります。
最初は、高校生のFtM0君と三人で飲んでました。
初めてのFtMで、しかも男らしい0君を前に萎縮していたのですが、彼がとてもいいやつで、すぐになじめました。
女子校に通っていた彼は、他の女子に「男子」と認定されていて、着替えや修学旅行のお風呂に一緒に入れてもらえないと嘆いていました。
それからも、ヤツイワ家で彼女の取材を受けたトランスの方と一緒に、よく飲み会をしていました。
そのころはまだガイドラインの制定前でしたが、すでに手術まで終えられた方が何人もいらっしゃいました。ホルモン注射の話や、手術の話、トランスとはなんぞやと言った話から、みんなの生育歴を聞いたり、くだらない話で盛り上がったり、生きた勉強をさせてもらっていました。
どちらかというと、MtFの方の方が多かったと思います。
ホルモンを入れてないのが、自分とTさんというMTFの方の二人ぐらいだったでしょうか。
Tさんは外見は完全な男性だったのですが、仕草と心はまったくの女性で、手術までしたMtFの方より女性らしかった。自分もTさんをどこか目指すようになります。
外見は女性でも、心が完全に男性なら男性に見えるだろうと思うようになったのです。
(Tさんもその後手術を受けて、完全な女性体にもどられました)
それと同時にたまに自助グループにも顔を出すようになります。
そのころの話題は、やはり「手術」と「ガイドライン」でした。原科先生を囲んで、手術についてのレクチャーがあったり、精神科の先生を囲んでのガイドラインの説明のようなものもありました。
そこまで、トランスしようと思っていなかった私は、だんだんと自助グループから足が遠のいて行きます。
それと同時に、ヤツイワさんの本が出版された頃から、だんだんとみんなで集まることもなくなってきました。
完全に、トランスの世界から一度足を洗うことになります。