自分史


自分史 その9  2002年現在まで

ちょど、ヤツイワさん宅へ出入りしていた頃、ある家電量販店でアルバイトをしていました。
ちょうど消費税が3%→5%にあがった年の3月にそこへ入社したんですね。
レジ係だった自分はめちゃくちゃ忙しかったのを思い出します。
自分は入ってすぐ、そこの店長(推定40歳独身)に片思いをしてしまいます。
店長の仕事も手伝っていたので、親近感を持ってしまったのでしょう、あっけなく恋に落ちてしまいました。
 しかし、店長は4月には転勤で他店舗に行ってしまったので、あっけなく終わると思いきや、自分が辞めるまで結局好きでしたね。しかも、他の社員やアルバイトさんにも知られていて、
なま暖かい眼で応援されてました。
そこのバイト先では、飲み会でビールを瓶ごとラッパ飲みしたせいか、元々、バイトも社員も他の人のことを気にしないせいか、女性としてほとんど扱われる事はありませんでした。
冬の雪かきなども、平気でかり出されてましたしね。他の女の子はそんなことなかったのですが…。そう言う意味では、すごく働きやすいバイト先でした。
 学生バイトで、ヨネちゃんというオタクっぽい男の子がいました。
彼は、パソコンソフトのエッチ部門を担当(?)していました。
閉店後の店内で、彼を含め何人かでエッチソフトの品定めをしたり、当時流行っていた「新世紀エヴァンゲリオン」の話をしたり。自分はただの友達だと思っていたのです。
 ある日、ひょんな話から同人の古本を買いに行きたいと言う話になって、彼にショップまで連れて行ってもらうことになりました。
何故かみんなには「ともぞうとヨネがデート」という話になっていて、しかも「車でデートして、東名横浜インター辺りで休憩しろよ」とか言われたりもしていました。(東名横浜インター付近は、ラブホテルがたくさんあるのです)
 とりあえず、彼は学校があるし、自分も友達との約束を無理矢理作って、夕方渋谷で待ち合わせをして、お目当ての場所へ連れて行ってもらいました。その後、友達と約束があるからと言ったにもかかわらず、彼は付いてきて、食事とカラオケを一緒にする羽目になります。
 駅に着いて、彼とはバスの路線が違うので、そこでさよならしようと思ったら、彼が自分の家に来たら車で家まで送って行くよと言い始めて、バスもなかなか来ないので、その甘言に思わず飛びついてしまいました。
 彼の家に着き、車の鍵を取ってくるから待っててと言われ、5分くらいその場に待たされながら、イヤな予感がしていました。
彼の運転する車の後部座席に乗ろうとしたら、助手席に座らされ、家へと走っていると、いきなり車を止められ持ってきた小型バイブレーターを股間(と言うより腹の肉ですねあれは…)
に押しつけました。その時、ジーパンをはいていたので、特に実害がなかったのですが…。
とりあえず、彼の頬を確か叩き、その場でお説教を始めました。結局、奴もそれ以上は何もせず、そのまま家まで送ってもらいました。
結局、その後も何もなかったようにヨネちゃんとは話を交わしていました。どちらかというと、彼に対して哀れみを感じていたのかもしれません。
そんなこんなで、楽しかったアルバイト生活も、
母の正社員になれという無言の圧力で終わりを告げます。
1年ちょっとで、私はアルバイトを辞め、前の会社へと移ります。
今の会社に社員として就職をすると同時に、ほとんどヤツイワ家へ行かなくなり、他のトランスの友達とも会わなくなります。
自助グループにも身の置き場がないので通うこともなく、ぼんやりと女性として仕事をしていました。
 ラッキーなことに、同僚も女性らしさとはかけ離れた人だったので、そう言う意味で、女性らしくと言うのに気を遣わなくてもすみました。社長も変な人で、余り女の子だからと言うタイプではなかったのも幸いでした。
 このまま、トランスジェンダーとしてカウンセリングにも、ガイドラインにも乗らずに生きていこうと思っていたのですが、ひょんな事から、ヤツイワさん宅でお世話になったFtMの方から、
友達が自助グループのFtM部分の代表を務めているので、その人を手伝って欲しい旨の手紙が来ました。そんなことから、違う自助グループのお世話になることになりました。
 その会は、FtMの代表一名、MtFの代表者一名、トランスジェンダーの代表者一名、計三人の代表者で構成されてました。
その会合はいつも渋谷の某喫茶店の地下にある会議室で行われていまいした。
パスしてる人してない人、トランスセクシャル・ジェンダー・ヴェスタイト色々な人が混じり合って、色々な話をしていました。
 ちょうど、埼玉医大がFtMとMtFの最初の手術を、ガイドラインに則って行う頃でしたので、性同一性障害が初めて(?)きちんとマスメディアに報道されるようになり、TS,TGの人々も少しずつ外に出てこれるようになっていました。
 自分は、結局FtMの代表さんのアシスタントをすることになり、彼のお宅へよくお邪魔していました。会報を作ったり、手術について話したり、色々な話を良くしていました。
その方はすでにわらびでカウンセリングを受けていたので、自分もわらびへカウンセリングに行こうかと思っていたのですが、その時は、結局いけずじまいで終わってしまいます。
色々とあり、そこの自助グループは1年という短さで解散してしまいます。
自分はFtMの代表さんと新しい自助グループを設立させようとしましたが、結局、それも立ち消えになり、完全にトランスの世界から足を洗います。
 このまま中途半端な人間として生きていこうかなぁと思いつつ、ほとんどトランス系のサイトも見ずに、悶々と生きてきました。
 ひょんな事から、2001年の「レズビアン&ゲイパレード」のボランティアに応募をします。
たまたま、委員長としゃべる機会があって、「自分はトランスなんだが、居場所がない」と愚痴をこぼしたら、「ないなら作ればいいじゃない」とアドバイスをいただき、サイトを立ち上げます。
で、今に至るのでした。



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